二章三節:小括

 まず、幸せとは現実に満足することと定義できるから、個人の幸せはその人の現実認識と欲望とに依存する。そして、個人は幸せになるために意思決定をして行動をするが、その際に個人の自由と平等を制限するものは個人が従う権力であり、人間が一人しかいない社会の場合、その権力は個人に内在する権力とそれが付与する二次的権力だけだったから、人が自らの従う自由と平等の制限下ですべてのものを所有、生産、消費、分配する原始資本主義で何の問題もないが、人間が二人以上存在する社会の場合、それらの権力と他者に内在する権力とそれが付与する二次的権力の対立が発生するので、権力は可能な限りのあらゆる非暴力的および暴力的手段を行使してその権力対立を解消しようとする。


 そして、より強力な手段を行使できる権力が対立する権力を従える《合》の状態か、どちらの権力もある程度譲歩して一つになる《和》の状態かのどちらかで権力統合が行われていく。最終的にすべての人に内在する権力が一つの権力に従うような方向に権力統合が進んでいくから、現在の日本国民が従っている日本国憲法も権力対立に晒されており、本論文で提案したい政策を実行する際には日本国憲法と対立する権力が障害となるが、まずはその政策の背景について論じた。


 現在の日本社会は日本国憲法制資本主義社会と言え、日本国憲法が制限する自由と平等のもとで人々はあらゆるものを所有、生産、消費、分配できる。そして日本国憲法の権力の下で、政府と銀行が人々の所有物の交換を助けるお金を操ることによって、人々の所有、生産、消費、分配の多くを制限しているが、人々のもつ能力の差から生まれる貧富の差を適度に保つためには、政府による税金徴収と貨幣発行権の活用と公共事業を銀行によるお金の貸し付けを国民が望む方向に揃えなければならない。そうして初めて、日本政府の抱える国債残高問題と不況と貧富の差が解決に向かうのだ。


三章:問題解決への提言