キレイなウソを捨て、汚い事実を教えるべきか?

僕がこの章で提言したいことは、

 

「汚い事実を多くの人に知らせようと思うのなら、

それを知った人が進むべき道を用意しよう」

 

ということです。

 

汚い事実を知った人は、それを多くの人に知らせようと、必死でもがきます。 僕は、過去のそのような人々の絶え間ない努力のおかげで、弱肉強食の世界という汚い事実を直視することができるようになり、先人たちと同じようにその事実を知らせようと必死にもがいてきました。

 

しかし、キレイなウソを捨て、汚い事実を知らせることは善いことなのでしょうか?

 

誰でも汚い事実を知ってしまったら、キレイなウソを「常識」として共有している大多数の人々から理解されないだけでなく、酷いときには罵倒されます。しかも、一度知ってしまった汚い事実を忘れることはできません。なぜなら、たとえそれが「常識」から外れた少数派の主張であっても、説得力のある根拠に基づいた合理的に正しい結論だからです。

 

だからこそ、汚い事実を知ってしまった人は、「正しさ」と「多数派の恩恵」の二律背反に直面するのです。

 

「正しさ」を選べば、少数派として「多数派の恩恵」を失い、無理解からくる迫害を受けるとともに、衣食住金をまともに手にできなくなる人もいます。

 

一方、「多数派の恩恵」を選べば、衣食住金を比較的楽に手に入れられるのですが、「正しさ」を知っていながら追求していないという葛藤に苦しむことになります。「こんなに辛いなら、事実を知らないほうが良かった…」と後悔したことのある人も多いのではないでしょうか。

 

つまり、多くの人に汚い事実を知らせ、「正しさ」を選んで欲しいのであれば、「正しさ」を選ぶことによって直面する苦悩を解決する道を用意しなくてはならないのです。

 

そうでなければ、汚い事実を知っても「多数派の恩恵」を選ぶ人が大半であり、「多数派の恩恵」が「正しさ」と一致する「守るに値する世界」は訪れません。

 

逆に考えると、一度でも「正しさ」を選ぶ人が多数派になりさえすれば、「正しさ」は揺るぎないものとなり、「守るに値する世界」が誕生するのです。ですから、いかに「正しさ」を選び易くするかが重要なのです。

 

 

さて、そのために用意するべき道というのは、

 

①迫害をものともしない精神的な充実

②その充実を支えるのに最低限必要な衣食住金

 

の2つを「多数派」と同程度の苦労で手に入れる方法

 

です。